MUKU-DATA  鳥海山神代栃

2~3年ほど前に製材した神代栃が天然乾燥と同時に大きく反っていった。
倉庫に木裏側を表にして立て掛け
この木の情報をメモしたビニールテープに
「神様、この反りが少しでも戻りますように・・・(^人^)」とシャレで記載しておいた。
そのようなチャラけた願いは当然届かず未だ反ったままの状態なのですが・・
(逆に戻ったら怖いよね・・ 
まぁ木裏を表に立てておくと多少は反りが戻ることはあるんだけど)

最近は高周波プレスなる反った木を平らにできるプレス機もあり
一枚板を扱う材木屋にとっては最強に心強い救世主な機械なのだけど・・
弊社でも何枚かは高周波プレス加工にお願いした一枚板たちもある。

反った木がある程度平らになって一枚板として使える状態になるということは
悪い事ではなくありがたいことなのだけど
この神代栃、どうもこのままの方が良いよなぁ・・と
高周波プレスすることを見送った。
乾燥の間に大きく反り、神代木は水分の抜けが急激なのでシワシワになっている。
それがどうも良い感じに見えている。
良い感じ・・・? と言うよりは何か見たことのない得体の知れないもの
それが2500年埋もれていた記憶なのか・・?
神代木特有のこの色なのか・・?
2500年の時を経て地上に引き上げられて製材されても尚、
反るという木の本来持っている性質は失われずにいる姿。
シワシワした木の肌は神々しささせ感じさせてくる。

今朝、Twitterのタイムラインを眺めていたら
大江宏さん(1913-1989 建築家 法政大学建築学科創設者)のbotが流れてきた。
「怪(ケ)が宿るヨリシロを導入してこないと、建築と人間は本当にかみ合わせることはできないのだろうと思うのです。そういうヨリシロを考える場合に、一番とっつきやすいのは木だと思う。「併存混合としての日本建築と現代建築(1981)」

真意のほどは理解していないのかもしれないのですが・・・
「住む」こと、そこで「暮らす」ということは
そこの空間にそういった曖昧な間のような部分が必要だよなぁ・・
と勝手な解釈?をしながら、この神代栃の事を思い出した。