MUKU-DATA  真宗大谷派 井波別院瑞泉寺

八日町通りのその先には瑞泉寺
ここまでやるか?っていうほどのいい言葉がみつからないが木彫刻の執念を感じる。
材木屋視点でいうと、以前ここを訪れた際に浜縁の上段の敷板が栃と聞いてそうかぁ・・と
意外だったが
本堂は1885年(M18)、太子堂は1918年(T7)の再建、いづれも百年以上経過して
どれだけ多くの人が浜縁の上段:栃、下段:欅の回廊の床板を歩いてきたことだろう。。
長く風雪に耐えながら、色も変化してグレーにはなっているが、
下段の欅材は欅としての特徴を残し、
上段の栃材は栃としての赤身部分がある事も見て取れる。
栃特有のテッポウムシの虫穴痕やスポルテッド部分も残っていたり、
あぁ100年過ぎても栃は栃だと見て感じる事ができる。
100年過ぎて益々その凄みと風格を増してきているのだが、
完成して間もない頃は欅材中心で作られた本堂に回廊、多くの彫刻群、
その上段の回廊敷板だけが色の違った白い栃材で作られた姿を想像すると
もしかして光りを反射させてキラキラと本堂を照らしていたのかもしれない。
寺院に栃材というのは珍しいとは思うのだが、
何故にここに栃が使われたのか?
詳しい事情をご存知の方がいれば教えていただきたい。

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