ある雑誌を見ていたら、茂木健一郎さんが言っていた。

「骨董というのは不思議なもので、その人が美しい、欲しいと思えばある意味それがその人の本物になる。
その美の価値は個人的でありながら、長い時間をかけて、多くの人に大切にされてきたという、
時代を超える普遍性もある。いいものはねぇ、やっぱり高いんですよ、何千万とか、そういうのザラ。
だからといって、それを負けてほしいとか、高すぎるという気持ちにはなりません。
やっぱり見ると『いいなぁ』と思いますよ。いいものは高い、しょうがない」

木と似てるね、

また

「西洋だとディナーセットみたいに、うつわは全部同じ柄に統一されているのが美しいとされている。
日本の美意識は、多様性を尊ぶんです。
完全なものより、不完全なもの、余地のあるものに、美を求める。
割れた茶碗を継いだものを、美しいと感じるように、失敗しかかっているようなものを生かす。
不完全、不均質なのに、それが洗練されていると感じられる。これが日本の美意識の特徴なんですが、
いまはちょっと、日本人自身が、それを忘れかけているようなところがありますね」

昨夜、清龍さんが同じような事言ってたなぁ。

木でも
こんな価値観もあっていいのかもしれない。

コメントを残す