MUKU-DATA  台湾松  東京銘木協同組合

お盆前に東銘にしばらく預けてあった材の引取りに行ってきた。
今回の出材は少なく、手をあげている買い方も殆どいなかった。
少ない出材でも、まだ見た事のない材が出ているものだ。
写真の大きな板は「台湾松」らしい。はじめて耳にする材、(きっと昔の厚盤か何か挽いたのだろう)
挽いた時は薄いピンク色でキレイだったらしいが、徐々に渋のようなものが出てきたらしい。
全国方々へ出材されている同世代の材木屋がいたので、
岐阜のこと、大阪のことなど諸事情を聞いた。
どこもいまいちパッとしないようだ。
そりゃそうだろう・・
ここ10年ほど、これでもかって位、あれやこれやと出材され、
あの樹種が市場で高く売れれば、どこもかしこも競って同じ樹種を集中的に出材する。
(製材出材者もっと考えろよ)
一枚板が今いいらしいよって事になると
木に携わった事のない人たち、木に関心がない人たちまでが、
扱い始めそれなりに見えるホームページを作り、量産できるかのようにあちこちにばら撒く。
(金儲けもいいけど、木に祟られるぞ)
もともとそれぞれに表情が異なる木が画一的に大きな工場で加工され、
1.3m、1.5m、1.8mと長さがカットされて
都会のショールームに並べられた一枚板たちは
体育授業の生徒のようにきちんと整列させられて、
その姿は見ていて何だか息苦しくなってくる。
一枚板や材木なんてもともと流行るものでも何もない。
それに気づいた限られた人だけがこっそり楽しめばいいのかもしれない。
(売れないと困るけど・・矛盾か・・?)
「木は人を寄せ付けない」と言っていた人がいた。
人が木を選んでいるのではなく木が人を選んでいるという言い方もできる。
(いづれにしてもどこも飽和状態だな・・考え無しにやり過ぎるから )
夜は関東2名、東北1名、木に携わっている業者と懇親会をした。
今回は珍しくテーマがあったのだが、
その席の話は殆ど覚えていない。(また飲み過ぎか・・)
ストレス レスって当たり前の事の話ができたって事なんだろう。
それは何よりなこと。
朝、目覚めたらおっさん横に寝てたけど・・
(また二日酔いだった。。)
台湾松っていうらしい
関東で車で行くと、新木場手前35kmほどまではスムーズだが、
首都高渋滞で、そこからあと35kmが2時間、3時間って事がよくある。
この日も渋滞で動かず、下道に降りた。
バストゥーンウォルナット
杢と曲りのある楓
ちょうど JAZZ CDのライナーノーツを見ていたら
そうだなぁ・・って事が書いてある。
偉大な芸術作品と巡り合った当初は、
その作品が神秘と驚異のヴェールにつつまれている気がする。
ところが、時の経過とともに、そのヴェールが一枚ずつ剥がされてゆく感じ、を味わうことがある。
そして、その作品を受容する側が精神的な成熟を重ねるほどに、
当の作品も受容者の内部でより大きな存在へと膨らんでゆくものだ。
このアルバムを聴いて、そのことを思った。
「作品」を「木」に置き換え読んでみると
まさに同じ事が言えるかと思う。
本当に良い物は決して流行らない、、
Deepなところに身を隠し誰にも邪魔されずにひっそり生きているのかもしれない。

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