MUKU-DATA  建築のエッセンス 齋藤 裕 (写真家:二川幸夫氏との対談)

以前、新潟のお付き合いのある建築家金子勉さんから
この本を借りて、へぇ~木の見方、面白れぇ~ って感じで
この本買おうと思っていたが絶版で、ネットで古本調べてもプレミアついて高くなっていたので
買いそびれていた「建築のエッセンス」
先日、建築家の齋藤裕さんとお会いする機会がありご本人からこの本を頂いた(チョーウレシー!)
私自身建築家ではないので建築の事を語る資格はないのだが、
材木に関してはかれこれ30年弱、毎日木に触れている訳だから
材の事は少しは言わせていただいてもいいのかと思う。
齋藤さんと木の話をしていると
木が好きで、この木をどこにどう使おうか?って
常に想像して一枚、一本の木を良く観察している事が窺える。
へぇ~  とか
なるほどねぇ とか
あぁ・・それいいですねぇ~ とか
常々私の中で、木ってこう使えばいいのになぁ・・
こう使ったら面白いんじゃない?
と空想している事が、
今、目の前に実際に建築設計するご本人のものとなって
言葉として出てきている、事の、充実感
本当に木が好きで知っていて、素材として探究しているんだなぁとその言葉の端々から
感じ取る事ができる。
建築のエッセンス 序章から始まり第15章まである。
序章
第一章 木
第二章 紙・土・漆喰
第三章 石
第四章 コンクリート
第五章 鉄
第六章 ガラス
第七章 色Ⅰ
第八章 色Ⅱ
第九章 五感と気配
第十章 建築の呼吸度
第11章 空間の真・行・草
第12章 素材の真・行・草
第13章 プロポーションⅠ
第14章 プロポーションⅡ
第15章 動線・軸線
各章のタイトルからしてとても興味津々である。
序章~第1章「木」を読み終えた。
じっくり何度も前行に戻り、言葉や感覚的な見方など噛みしめながら文字を追った。
以下本文より抽出
~ぼくの建築は、世の中とくらべると素材の選びや扱いが特別に見えるらしく、
みんなテクスチャーの方に目が行くようですが、エネルギーを傾けるのはプロポーションです~
~大徳寺の狐蓬庵で昼寝をしたいとか、スカルパのブリオン家の墓地でテント張りたいとかね~
~木のテクスチャーをうまく引き出すために、素材が時間によってどのように変わっていくか
という経年変化の知識~
~それでは銘木屋の扉を叩けばいいかということになりますが、「銘」は金偏に名ですから
木の名に金がつく。相手を間違えたら大変です~
~ブラジリアン・ローズは ~ ミースのトゥーゲントハット邸の曲面壁がそうです~
~樹齢2500年ぐらいで直径4メートルほどの ~ この板の前を通ると
木のことを知らない人でもハッとするオーラがある~
~ちょっとしたダイニングテーブルもいいでしょう。あと5年とか10年しか生きられない人が、
毎朝そこで食事をしたら幸せがやってくるかもしれない。そういう木なんですよ。
がさつな木は近くに置いても何もやってこない~
~面白いのは古代ローマ時代の2000年前に書かれたウィトルーウィウスの「建築書」にも
北山杉のつくり方と同じ方法が記載されていることです。「枝じめ」といって、
最頂部の葉をわずかに残し、~
~もっと眠たい感じのテクスチャーです。ブビンガという~
~フランク・ロイド・ライトはレッドオークが好みでした。見た目にも質実な感じがあります。
ルイス・カーンのキンベル美術館の図書室などは、ホワイトオークです。
木を狂わせないうまい使い方をしてあって、なかなか緊張感がある空間になっている。
あそこの造作家具は合板です。
多くの建築家が形だけは真似しますが、よく見てほしいといいたい。厚みが違うんです。
だから、できあがった空間の質にその違いが出てくる~
~どう手を掛けたところで品の出ないものもあるんですね。だから、樹種とその素性を見る眼を
もつことが大事なんです。何も木だけの話ではないんです。全ての素材に対する「モノ感」の事です~
~ときが経つほどに穏やかなツヤが出る~
~伝統的な構法や素材の使い方で、いま「なるほど」というものをつくれた人もいなければ、
全然違う素材で説得力のある答えを出した人もいない ~  茶室というのは空間のあり方の
根底に触れるものでしょう~
~やはり素材の多様性を知った上でないと、寸法の豊かさはつくれないのではないでしょうか。
ミースだって石屋の息子ですから、石の扱いが身に沁みついていたはずです。
その中から選別し、組み立てていった。だから、木に関してもどういうものが美しいのか、
使えるのか、触って知っていなかったらよいプロポーションはつくれないと思います。
その上で素材自体の魅力にどっぷり溺れないで美しい寸法をつくりだすという眼を
養っていくことが重要です~
~ぼくの考え方としては、素材に対してアプローチとして二つあるんです。
一つは、古くからある素材を使う場合、みんなが捨てたもの、見向きもしなくなったものとか、
あるいは常套的にしか使わてれてこなかったものに新しい顔を与える。
もう一つは、まだ建材として使われていないものを発掘して、いわば実験台になってやってみる
というものです~
~いろいろな材種を豊かに使って面白い建築といえば、江戸初期からです。
修学院離宮、江沼神社の長流亭、三渓園にある臨春閣、聴秋閣など。
明治以降の数寄屋を一軒挙げよとなると、嵐山の竹内栖鳳美術館~
~しかし、この木の名前は何ですか、どこで採れ
た木ですか、樹齢はどれくらいですかと、
話題が広がっていくところがある。そうして愛着が湧いてきて、大事にするというのはいいですね~
~それにしても、木というのは「精」の強いものですから、凝りだすとその魅力に取り憑かれる。
デザインする人は、どんなに美しい木に出会ったとしても溺れないようにしないと、
木に負けてしまって、デザインが甘ったるくなってしまいます。
これはジョージ・ナカシマさんから教えてもらったことですが、
「何かを得るためには何かを切り捨てること」です。
「ああ、もったいない」ばかりでは、形が濁る~
~大きな木には夢があります~
第一章まで読み終えたところ、
紙、土、漆喰、石、コンクリート、鉄、ガラス・・・と
同じように深く掘り下げ熟知しているだろうか・・
また時間をみて読み進めようと思う。
木をここまで好きで、知っていて、こう使おうと実践している建築家は他にいるのだろうか・・
材木の木取り、使い方、見立て方もかなり興味深く面白い。
木に多くの財を投じてきた事も窺い知ることができる。
多くの失敗、木に泣かされた事も、想像できる。
でも木は面白い。
齋藤さんが本に書いてあるように溺れないようにしなきゃいけない。
(もう溺死状態か・・)
こんな感じで木を使う人が増えれば楽しいと思う。
昔の大工さんは多かれ少なかれ木に対してどう使ってやろうか?と考えていたはず。
今この木が流行っているから、とりあえず貼っておくか?ってのは
一晩で誰でも考え付く何だか薄っぺらな木の家のように思えてならない。
木はもっと深い、木と人の関係ももっともっと深いものだと感じる。
第一章「木」
本当の木の家に携わる人に読んでもらいたいし、
これは材木屋も読んでほしいと思う。
そこにはこれからの多くのヒントが隠されている。

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