■ MUKU-DATA 美術手帖 BT|2014.07 P84~P86 【銘木談抄録】鴨川實豊×杉本博司
美術手帖の7月号 「特集:杉本博司」を見ていたら、
新木場の銘木問屋、鴨川商店の会長さんと杉本博司さんの対話が面白かったので
勝手に一部抜粋させていただこう。
木を扱う者として共感できる部分も多々あり、杉本さんの素材から発想する建築的思考など
そうだ、そうだと記事を読みながら何度も心ん中で呟いていた。
以下P84~P86より一部抜粋
まずは自分で手を動かしてみる
鴨川 杉本さんがすごいのは、本物を自分の目で確認して、しかもなんでも自分で手を動かしてやってみるところです。
杉本 木は木目や表面の仕上げで表情がまったく変わります。
例えば奈良時代に使われた槍鉋の跡が法隆寺の回廊の柱に残っています。
よく見て、その通りに自分で試してみるんです。
骨董と銘木探しは似ている
杉本 ここ鴨川商店へは、何かよい物はないかと頻繁に通っています。いわば骨董屋に来るのと同じ感覚ですね。
木は骨董と似ており、使い方次第ではものすごく生きてくるものです。
鴨川 木にもすべて物語がついているのです。どこで伐採し、どう製材したか。
またそこにいろいろな人の欲望が渦巻いているのが見えるんです。
よくこんな木がうちの店へ来たなというくらい、見事な銘木と巡り会えると、やはりときめかずにいられません。
銘木の命の尊さを重んじる
鴨川 材木を仕入れるときはどうやって上手く木目を出そうかと考えながら買うものです。
ところが、木の尊さや命を無視して、樹齢2000年の銘木でも、買ってしまえば自分のものと言わんばかりに、
ほかの製材屋で切り刻んでしまう方もいるのは残念です。
だからいいものは最初から非売品にしてしまう。不遜ですが、木の価値を守るのが私の役割だと思っています。
杉本 木が客を選ぶというか、木がかわいそうだと思います。変な客に買われちゃったら「木が気じゃない(笑)」。
木の事を知らない建築家
杉本 最近は昔の日本建築のよさを理解したうえで、和風建築を建てようという施主が少なくなりましたね。
鴨川 そうなんです。ところが杉本さんはどこで勉強なさったのかと思うくらい、
建築の歴史をひもとき、本格建築とは何かを理解しておられる。
杉本 以前は吉田五十八さんら建築家が名棟梁と組んでいい仕事をしていましたが、
今の建築家は木のことをまったく知らない。
鴨川 杉本さんは現場に来て自ら指導なさるけど、普通の建築家は素材を指示したらあとは施工屋にほとんど丸投げ状態です。
学校で教えていないのか、木質の建築造形物の歴史がばっさりと途切れてしまっているのです。
難を面白いとする、逆転の発想
杉本 私が内装を手がけた六本木のロンドンギャラリーでも、鴨川商店の屋久杉を使いました。
入口の床に一枚板を使い、小口をあえて見せることで無垢だとわかるようにしています。
鴨川 ところが、この木の筋には『す』が入っていたんですよね。
杉本 普通だったら「難」ととらえるのですが、それを「面白い」と見立ててしまうのです。
すると難が逆にアクセントになって、木の生命力がより湧き出てくるように見える。
『す』が入っていると値段も半分になるから、一粒で二度おいしいというわけです(笑)。
材料ありきの発想
杉本 こちらに伊勢神宮の森から伐り出された、樹齢1000年ほどの御山杉が入荷したことがありましたね。
鴨川 木に虫が入ってしまったので、ほかの木に影響を及ぼさないよう伐採されたものでした。
杉本 虫の穴があるけど、そのおかげで出会えたわけですから、それもまた面白いと思えばいいのです。
私が設計する場合、まず材料ありきです。
御山杉と出会い、これを使って何をつくろうかと発想していく。
どんな木をどう使うのかにも美意識が反映されるため、そこで自分なりの趣向を具現化しようと試みるのです。
古材に宿る物語をも引き継ぎたい
杉本 以前、村野藤吾の飛燕荘を解体する際に、よい古材だけもらったことがあります。
古材を再利用しようとすると手間とコストがかかるのですが、
だからといって捨ててしまうのはもったいない。
鴨川 古材とは材質がいいから今も残っているのです。
だから傷があろうと、それなりの時を経て得た輝きと存在感があります。
300年も使った木に込められた物語を引き継ぎ、
また再生させて使うという、木に対する慈しみがあるかどうかです。