MUKU-DATA  栃一枚板 ②Y 天然乾燥25年

入手した古い栃3枚のうちの②Y 
枝分かれした二股部分・・というよりは、一部窪んでいた木だったのかなぁ・・?

良い木ですよ、これらは。。
何て言うんだろう・・ 木の質が良いなぁ・・って思う。
25年もの間、大切に保管されていたからなのか・・?
挽きたての市場に出てくる木とは風貌が違うように見えるのは、
やっぱり眠らせた時間がそう見せているのかもしれないなぁ・・
何かが違う。。

もしかして、もしかですよ、、
昨日クラヴィコードという楽器の部材として、倉庫の奥で眠っているロシア赤松の
問合せをいただいた中で、(この材は父の代の頃製材したものでもう25年ほど前の在庫、赤松の選木丸太から枠材用に製材したもの、物は良くない)
「古い木材は楽器として使うのは寧ろ都合が良いと考えております」の件
これは「乾燥」という製作時のことだけなのか・・?
それ以外に意味合いも含まれているようにこの文面から感じ取ったのだが・・

丸太から製材されて、それらが長く大切に保管される
ウヰスキーやワインでいうところの熟成・・
熟成期間が長い事で、乾燥以外の、音質であったり触った時の質感であったり、、
そういった目に見えないことがプラスされているのであれば、
これは素晴らしい事ではなかろうか!と思ったりする。

木に毎日触れ、扱っていると、ポンポンと流行り廃りで商売する物ではないと
感じてくる。
築30年程度で解体される住宅、バキバキと音を立てまだまだ十分に使える
柱や梁の真新しい肉が剝ぎ取られる光景は心が痛む。

全て違う顔を持つ一枚板が均一に店頭に並べられ、
(歪んだ板を今はプレスで木の癖を抜き平らできる機械もある)
なるべくクレームのないように加工され、扱いやすいサイズにカットされ
選びやすいように、買い易く陳列される。
キャッチコピーは「世界で一つだけ」「天然の温もり」「同じものは一つとない」・・
ちゃんちゃらおかしく不自然に感じて白けてしまう。
なんか違うんだよなぁ・・それってと感じる人も多いのかと思う。

そういう自分自身も木を扱い、木で商売をさせてもらっているんだから・・
矛盾を感じつつ、 だからこそ大切に扱おう、大事に次へ繋げていこうという
気持ちも沸いてくる。

まだこの業界に身をおいて30年ほどですが、
最近確信に変わってきたことは、木は静かに気づかれずに大切に扱ってくれるところを
木自身が探していること。
だから一瞬、一枚板や木の家が流行っているように見えたとしても、
木なんて決して流行り廃りの域にはいないこと。
本当に世界中のみんなが木の家、木の家具ってなったら一瞬で全ての木が無くなってしまうのではなかろうか・・?

木の方がそれを察し、静かに行方を試案している・・
そうとしか思えない。。と最近確信している。

昔の栃一枚板 ①変形

昔の栃一枚板 ②Y 天然乾燥材 未加工