MUKU-DATA  チーク  カップボード天板用  L1500 420 t35mm

先日倉庫を物色して、コストを抑える為、ギリギリの木取りをしたチーク材が仕上がったので
お客さんに確認していただいた。(関連 ⇨ 木取り
カップボード用の一枚板天板で、長さは1300mm
表は面付きの耳があるもの、木裏使いすれば耳を落としたストレートカットでスッキリとした感じ
(ギリギリの木取りなのでこうなってしまうが、
天板は固定せずに箱に載せるだけにしておけば、時に耳あり、時にストレートカットと
模様替えも楽しめるのでは?と こっち都合の勝手な解釈提案か・・)
両端の長さは再度寸法を確認して後でカットすればいいかと
この状態で見ていただいた。
木表:耳付
木裏:ストレートカットに見える
こんな感じ
ところが、意外な事にまだ両端長さを決めていない状態の左端の裂けた部分、
ご主人はこの感じがいい!と言う。
(ん? 出たぁ・・ 無作為の造形
 ここは意図せず裂けた部分か、伐り出しの際に無造作にチェーンソーでカットした部分か・・?)
ここに反応するのは狙っていた部分ではなかったので
え?そう来ますかぁ・・
と数秒間があったような感じ
世の中作為で充満している。デザイン、全てがもう作為的で
何がいいデザインで何がかっこよく、何が何だかもうどうでもいいみたいな状態になっているから
自分に響くものがいいって事にしている。
こうしたものって好き嫌いもあるだろうし、好みも分かれるし、
でも無意識、無防備な時にスッと心の奥底まで染み込んでくる事がある。
ド田舎へ行って、ちょっと休憩、トコロテンでも食べて休んでいる時
ちょっとしたおばちゃんの一言やご近所のさんとのやり取りや仕草、着ている服や草履などに
えっ?って感じたりする事って無いでしょうか?
みたいな。。
最終的にここをカットするかどうかは良く皆さんでご相談していただくことにして
(これは好みが分かれるところですので)
こうした意図せずに作られた形や線というものが人々の心に時に響き、
木にはやっぱりそういった部分が多く隠れているなぁ・・と
あらためて思ったり、感じたりしています。

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