■ MUKU-DATA 東京数寄屋倶楽部
10月の下旬、東京へレジン製作者Wさんと一緒に打合せに行ってきた。
(といっても弊社が請け負い製作する訳ではなく、間に入ってただ紹介させていただいただけで
あとはお好きなように宜しくも無責任なので一応、納品までサポートさせていただくことにした)
打合せの予定時間まで2時間ほどあったので新木場でお世話になっている
ラカッポの村山さんの所に久々に顔を出してきた。
一緒に新潟から行ったレジンのWさんにも自分が世話になって
数寄屋建築や材の事、使い方などその多くを教えていただいた方なので
是非一度会って木の話など聞いて欲しいという気持ちの方がどちらかというと大きかった。
村山さんは私が知る限り、木の養生、手入れに関してはどこよりも手を抜かない。
かつて数寄屋建築材を扱っていた頃、その前の突板屋、天井製造業だったころからの
京都修行時代を経て若い頃からやってきた仕事の話は色々と聞いているので
仕事に対しての姿勢、取り組み、材を見る目、材を扱うこと、全てにおいて
今できる事の精一杯をやってこられた自負もあるだろうと思う。
なかなか、材木などの話も教えたいという気持ちの方が先だって
こちらの話を聞いてくれない事も多いが尤もかと思う。
そんな程度の材木の話なんて、聞いてくれているふりする関係でもないし。。。
だからWさんが実際に今回の打合せに製作したサンプルを見てもらえばと
机の上に置いたら、対応が変わって興味を持っていただいたようだし
Wさんへの見方も一瞬で変わったのを感じた。
さてそこからが、もっと村山氏のギアが数段上がり
数寄屋建築のこと、木取りの事、木の使い方、あれやこれやと
現物や雑誌が出てきて、、、
あっと言う間に2時間過ぎて、余裕をもっての本日の目的だった初顔合わせ打合せに遅れてしまった
村山さんもそうだしWさんもそうだし、好きなこと、興味のあること
そこに独自のセンスを盛り込んで徹底的に深掘りする。
先月、岐阜銘協での夜にご一緒させていただいた若いこれからを担う次期経営者の方々もそうだが
やはりそれぞれに独自の木の見方、木に対しての考え方を皆さんお持ちのようで
とてもいい刺激をいただいた。
もしかして銘木類、迷木類に関しては、材や見立て方を深掘りするマニアのような人たちが
これからのそのジャンルの業界を担っていくのかもしれないなぁとも感じた。
2時間、はなしっぱなしの村山氏とWさん
その中で私自身が一番感動したのは、使い古された壊れた水車板の敷板だった。
リバーシブル使いができて、表が草の草、裏が草の行あたりか・・
裏面の削った材面に桑かな・・?小さく繊細な蝶チギリが割れた箇所に2カ所打ち込んであったし
釘の刺さっていた痕も残っている。
こういった繊細な木の使い方ができるのって世界の中でも日本だけではなかろうか?
どうなんだろう。
侘び寂び、
ウッドレジンでもその辺を表現できたら、新たな境地が待っているのかもしれない。




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「骨董というのは不思議なもので、その人が美しい、欲しいと思えばある意味それがその人の本物になる。
その美の価値は個人的でありながら、長い時間をかけて、多くの人に大切にされてきたという、
時代を超える普遍性もある。いいものはねぇ、やっぱり高いんですよ、何千万とか、そういうのザラ。
だからといって、それを負けてほしいとか、高すぎるという気持ちにはなりません。
やっぱり見ると『いいなぁ』と思いますよ。いいものは高い、しょうがない」
木と似てるね、
また
「西洋だとディナーセットみたいに、うつわは全部同じ柄に統一されているのが美しいとされている。
日本の美意識は、多様性を尊ぶんです。
完全なものより、不完全なもの、余地のあるものに、美を求める。
割れた茶碗を継いだものを、美しいと感じるように、失敗しかかっているようなものを生かす。
不完全、不均質なのに、それが洗練されていると感じられる。これが日本の美意識の特徴なんですが、
いまはちょっと、日本人自身が、それを忘れかけているようなところがありますね」
昨夜、清龍さんが同じような事言ってたなぁ。
木でも
こんな価値観もあっていいのかもしれない。