MUKU-DATA 造作材の廃材(新発田屋本社製材工場)

何かの製品や建築部材として加工される前、木取りされる前の
素材としての木材を見ていると、
さてこの材をどういうふうに使おうか!?と想像を巡らすことになる。
加工される前の素材、木材は随分と想像力と創造力を刺激してくれるものだなぁ
と身近に毎日見ていて感じる。

数か月前(2024 6/23(日))に日経新聞の The STYLE / で
「IDEA R LAB」を運営する大月ヒロ子さんのクリエイティブリユースに関する
記事を読んでとても共感できる事が多く、その記事を取って置いて
昨日再度読み直してみた。
うんうん、そうそう、やはり数か月前に読んだ時と同じような気持ちだった。

製材業界、建築業界という作る仕事に携わっていると
廃材、廃棄物処分などの場に出くわすことが多く、
勿体ないなぁ・・ でも仕方ないかぁ・・ と胸が痛くなる場面に多々出くわしてしまう。

日常で言えば、弊社製材工場から出てくる木の端材
きっとまだ何かに使えるだろうに・・と思いつつ
キャラのある端材は燃やさずに取って置くがもう置き場がなく
事務所中に散乱していて、きっと他の社員はどう思っていることやら・・(苦笑)

先日は親戚の古い木造家屋の解体をお願いされ
(最近やたらと新聞折り込み広告が多い)高価買取専門店などに
連絡すると言っていたが、きっといい返事ではなかったのかと思う。
伯父はお金というよりも、まだ使えるのに廃棄するのは勿体ない精神
まだ使えるものを捨てるって何だか罪だよね・・
どこかにそういった気持ちが自分自身の中にもある。
これもあれもそれも、持って行って欲しいとお願いされたけど
気持ちは分かるが置き場もなく全部は無理なので木の扉や木製品など
自分で価値のわかるものだけ戴いてきた。

新築の現場でも廃棄処分される材料もある。
例えば、新品の羽目板やフローリングなども
今は工務店さんや大工さんが作業場を持っていないところも多く、
現場で余った新品の材料もゴミ箱に入る大きさに切って実際に捨てられる事もある。
なぜそのような事が起こっているかというと、工期、工程管理がビッチリと組まれていて
例えば1束、2束足りないと、そこでその業種の工事が止まってしまい
翌日の別な業者が仕事が出来なくなり、じゃあ予定をずらして明後日にお願いしても
他所の現場での予定が入っているので次に現場へ入れるのは1週間、2週間後・・・
みたいになってしまうと全ての工程がズレてしまって
お引き渡し時期が遅れお客さんに迷惑をかけてしまう結果になる。
という事を現場監督が恐れ、1~2束足りないよりは余った方がいいという
判断となっている。
他には発注ミスって事もあるかと思う。
なんだかどこかおかしいよね・・と思いつつ
職人不足って事もあるんだけど、皆さん予定がビッシリと詰まり
時間的余裕がないんだよねぇ・・
建築なんてほとんどが職人の手作りで作る現場なのにそもそも無理があると感じるし
ロボットみたいに流れ作業のようにはいかないのにねぇ・・
でもそれが現実。
うちは材木屋だから材木と大工さんの木工事内の話だけど
きっと板金工事や内装クロス工事などでも同じような事になっているかと思う。

そういった新品でも廃棄されるものや、
解体時に捨てられる古い扉や家具類、
終活とかで連日多くの物が持ち運ばれる処分場・・・

どこかに広い大きな倉庫、使われなくなった学校の体育館等とかで
そういったものを引き受けて再利用できるようにできないものかなぁと思う。

建築の現場に関しては、私たちのように頻繁に現場へ資材を届ける
材木屋や建材屋なんかだと
配達した際に余った物を引取り、それをストックできる大きな倉庫へ持ち運んで
整理分類して、必要としている人へ再販する。
新たに何か設備投資を行う必要もないし、我々のような業種は相性がいいのかと思う。
他には、大手リサイクルショップの建材版みたいなものとか
(オーディオ機器専門があるように、建築資材専門みたいな)
他にはホームセンターなんかもこういった事は相性はいいのかと思う。

捨てるなんて勿体ない・・皆さんどこかでそう思いつつも
目をつぶって心傷めながら捨てているのかと思う。。
どなたか、一緒に再利用できる建材倉庫をやりませんかぁ!・・・?

クリエイティブリユースから少し話が逸れてしまったが
弊社工場を見渡しても、木の廃材は多くある。
一部は薪に取りに来てくれる人もいるし、大鋸屑は農家や園芸関係の方が引き取ってくれる。
製材時に出る木端材はチップ工場へ無償で引き取ってもらっている。
リサイクルできるものはリサイクルされているんだけど、
はじめに書いたように、木ってどこか創造を刺激してくれる。
それが端材であっても、これっていいなぁと思う事が多いから、
創造的に再利用できる面白い素材だと思うんだけど。。。

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以下、新聞記事より抜粋

昔は誰もが身の回りにあるモノを使い、自分で工夫し、何かを作っていた。
大量生産・大量消費が当たり前になって、いつの間にか「手の知性」が失われてしまった。

廃材は欠けていたり、半端なものでも問題ない。
むしろ、欠けている方が想像力を刺激する。人の想像力と創造力は対で発達すると感じる。


大月さんの言葉にとても共感できる。